2月24日付、東京新聞・中日新聞の夕刊文化欄に、写真集「ULTRA」についてのフォトエッセイ「闇を撮る」が掲載されました。 「闇を撮る」 中里和人 夜が明るくなった。日本では夜の闇が感じれなくなった。そんな言葉を耳にしだして久しい。 たしかに、東京をはじめ、都市部や町の中心部に暮らす人にとっては、夜になっても、オフィスビルや商店の明かり、住宅や街灯の明かり、車のライトや自販機の照明などが光の洪水のように溢れ、昼夜の区別なく仕事や遊びを続けることが出来てしまう。 しかし、闇は消えてしまったわけではない。自分の住んでいる場所から車で30分も走れば、多分この日本ではかなりの暗闇に遭遇することができると思う。 たとえ大都市東京圏であっても、深夜の新橋の路地裏、三鷹の天文台付近の雑木林、両国橋の下、新中川に架かる新金貨物線の鉄橋、東大本郷キャンパスなどなど、数え出せばたくさんの闇溜まりがあることに気づく。 そんな闇の気配が濃密な夜景を撮りだして10年余りになる。 夜景を撮る時の視線は、闇のなかに浮かび出す、昼の景色とは違った、鮮烈で不思議な夜の素顔の発見であり、夜の光に導かれる旅が続いた。 数年前に、沖縄本島北部にあるヤンバルの森の夜景を撮る機会があった。その森の暗さは、今までに経験したことのない濃度で、森の中では大きな闇の塊に包まれてしまった。何枚も長時間露光で撮影をしたのだが、仕上がりを見て愕然となった。フィルムには、まったく森は写ってなくて、黒い失敗写真だけがあった。それまでの夜景撮影の経験値があっただけに、それらが通用しない暗い夜の世界があることを思い知らされた。 と同時に、この時から自分の中で、夜景の捉え方が大きく変わりだした。 それまで、明かりに照らされた不思議な夜世界に気を惹かれていたのが、だんだんと写真の背の暗がりで、夜の闇の中からぼんやりと浮かび上がる景色や、暗闇のハテに消えていく、人間の視力の限界のところで見え出す、臨界夜景に興味が移っていった。 同じ夜を撮影しながらも、闇度は極まり、写真の世界は夜景から闇景へと変わったのだった。 それからは、暗い闇溜まりを求めて、森へ海へ、町外れへと、日本各地の夜を彷徨い歩くようになった。 目指したのは、人の目で見えるか見えないかの、ぎりぎりの闇景色だった。 やがて、そこに現れ出したのは、闇のなかで明滅するザラザラとした闇の粒子だった。 その日本の闇粒(やみつぶ)を写したシリーズが、このほど『ULTRA』という写真集にまとまった。 ULTRAというタイトルには、夜のなかでの臨界夜景、超夜景の意味を込めたのだが、イギリスの知人に英字的な意味合いを尋ねたところ、ウルトラはウルトラマリンの色の名前にあるウルトラに由来するらしい。この色は地中海の海の色であり、遥かアフリカ大陸の遠い果てから越境してやって来る海の色をさすのだという。 まさに、見えない夜のサイハテから越境してきた、不思議で、美しく、懐かしい怖さを秘めた、闇の世界『ULTRA NIGHT』が、今の日本に潜んでいたのだった。 掲載写真/写真集『ULTRA』(日本カメラ社)より。千葉•千倉
by nakazato-k
| 2009-02-24 22:01
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